正信偈唱和
曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
つまり「願生彼国即得往生」ということがございますが、即得往生の人が願生彼国するのでありまして、即得往生でない人が願生彼国するということはないわけです。即得往生しない人間が願生彼国を叫ぶもんだからその世の中はいよいよ喧しくなる。だから今の世の中の思想は、即得往生なしに、願生彼国だけを叫んでいるんでしょう。そうでありませんか。その即得往生が願生彼国というように表現されるのでありまして、即得往生を表現すれば願生彼国というものになるんでしょう。だから、表現は願生彼国でありますけれども、即得往生の人のみが本当に願生という表現ができるのでありましょう。即得往生なしに、願生彼国というものが成り立つと、こういうふうに思っている人もあるようですが、浄土真宗は、「生というはこれ、得生者の情ならくのみ」と、生というのは願生ということでしょう。願證というているのは、得生者の情だと、生といっても、願生と、生という字をつけるのが本当でしょう。