正信偈唱和
曽我先生の言葉拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
要するにお念佛を称えることでしょう。お念佛を称えておればおのずからその人の心も清浄になり、身の立振舞も尊いものになる。
常に佛の前に立っているという安心があるから誰も見ておらなくても、礼拝する。身業の上につつしみの相がある。これが「礼拝門」である。
言葉も尊い言葉を使う。人の悪口をいわず、ほめるようになる。これが「讃嘆門」である。そして常に自分の心の中に祈りをもつ。祈りとは現世祈祷をすることではない。常にみ佛のおまもりにあずかりお祈りをするのである。
三朝浄土の大師等
哀愍摂受したまいて
真実信心すすめしむ
定聚のくらいにいれしめよ。
これは御開山聖人のお祈りでしょう。この「作願門」という自分のおまもりがないと間違った邪見をおこすのである。だから十方恒沙の諸仏、阿弥陀如来等がお守り下さるのである。これが作願門。「観察門」というのものの道理を正しく見て行き、自分自身の心の動きを観察していくことである。
最後の「廻向門」というのは何時でも人間に同情同感することである。相手の立場に立って行くのが廻向ということである。
こういうように自分自身解釈しているわけである。