正信偈唱和
曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
裏には極楽世界、表には人間世界がある。だからわれわれは人間であるということを判然と教えて頂かなければならぬのであります。だからこれはどこどこまでも自覚ということが大切であります。自覚というのは何も自分の勝手なことばかりいってはなたないのであります。甲の人にいわすれば乙の人が悪いという。乙の人にいわせれば甲の人が悪いという。両方とも自分勝手のことをいって自分が悪いということを知らない。それは南無阿弥陀佛ということを知らないからであります。南無阿弥陀佛を頂けば責任は自分のところにある。世界の平和の責任は自分にある。責任は自分にあるということはまちがいないことでありましょう。だから、自分の相は向こうに映っている。向こうの相は自分の映っている。佛はちゃんと私の相である。私はちゃんと佛の相である。だから『歎異抄』第九条をみるとわかる。
念佛申し候えども踊躍歓喜の心おろそかに候こと、又、いそぎ浄土へまいりたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらんと、申し入れて候いしかば、親鸞もこの不審あるつるに、唯円房おなじこころにてありけり。
互いに鏡となられたのであります。