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12月16日(水)毎朝のお経と法話の会

正信偈唱和

曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話

曽我量深先生の言葉本文
 

礼拝というのは一歩退くのが礼拝。南無は礼拝、礼拝が南無の姿だと天親菩薩が教えて下さった。一歩退くということは智慧である。智慧の眼を開いて、われというものを知る、つまり佛様から離れる。佛様から一歩下って自分を知らしていただく。これが南無阿弥陀佛である。

一歩下がって佛様と初めて一つになることができる。だから礼拝・讃嘆というのはまず自分が一歩佛様から下る。浄土から一歩下る。浄土から一歩下ることである。この浄土から一歩下るところに娑婆の世界、人間の世界がある。一歩下ることを知らなければ人間がわからない。一歩下がるところに、そこに私どもは助かるまじき人間、どうすることもならない人間であるということをはっきり知らしていただくことができる。

はっきり知らしてもろうたときに初めてはっきりと佛様の姿を、私どもが知ることができる。そうしてその一歩下がったところに機と法とが一つになる。初めから一つになれない。

そこに私どもは初めて現在ということがわかる。そうして一歩下がるというところで現世祈祷をしないということが初めてできる。

一歩下るのが佛法である。一歩下るというか、だめなことを本当に教えて下さるのは南無阿弥陀佛の本願、それ以外に本当の仏法のかなめを、教えて下さることがないものだから、あの尊い『法華経』の教えが、現世祈祷の教えになってしまう。情けないことである。

(『浄土の問題』四二―四四頁)

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