正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄講義(上)・本文
正直じいさんの話も、おじいさんが葛籠を開けたら宝物がいっぱい入っていましたというところで終わるからいいのです。おじいさんがその宝物をもってさらに儲けようとしましたというと、今度は大変なことになっていくのでしょう。つまり、お金があるために、今度はどんな不幸があるか解りません。有為転変の無常の世の中において、その幸せを保ち続けるということはできません。
では、本当の幸せとは何なのでしょうか。地位や名誉や財産に一切左右されないものでなければなりません。親鸞聖人に、
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
(『高僧和讃』真宗聖典四九〇頁)
という和讃があります。むなしく過ぎることがないような人生をいただくのだ。「本願力にあいぬれば」というは、阿弥陀仏の本願のはたらき、念仏として表れているわけです。お念仏に遇えば、むなしく過ぎる人はない。「功徳の宝海みちみちて」、功徳の宝海がその人に満ち満ちている。煩悩の濁った水が一切妨げになりません。煩悩の濁った水は、海は入っていくと、海と同じ塩味に変えられていく。どれほど、煩悩、欲望が海に入っていっても、功徳の宝海は、煩悩、欲望を宝に、功徳に変えていってくださる。そういうすぐれたはたらきが、お念仏です。こういうことですから、「諸善もおよぶことなきゆえに」といあれるのです。
(真如一実の功徳宝海 204頁10行目~205頁6行目)