仏教人生大学
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
銀座キャンパス
資料請求・お問い合わせ
基本講座
仏教入門講座
聖典講座
教養講座
出張講座
外に出て学ぼう

Home トップページ  >  今日の法話  >  12月30日(水)毎朝のお経と法話の会

12月30日(水)毎朝のお経と法話の会

曽我量深先生の言葉本文

○ 機の善悪の沙汰するのは自分の罪の深きことを知らぬ。善悪を知っておるのは一文不知になっていない証拠である。高上りしている証拠である。

○ 高上りすることは、正体を押えてみると、劣等感を持っているからである。劣等感を持っているから高上りする。

○ 劣等感から救われるのが機の深信である。

○ われわれが本願を信じないのは、劣等感があるから本願を信じない。

○ 人間は、劣等感から救われることによって本願を信ずる。また自分自身を信ずる。

○ 自己を信じないものは仏を信ずることは出来ないのである。

○ 我が身を罪悪生死の凡夫と信ずる。我が身は・・・・・を、我が身をに直して読めばいい。

(『親鸞の大地』二四八―二四九頁)

本日の「曽我量深先生の言葉」と職員感話を受けての法話

銀田 琢也(江戸川本坊・僧侶)

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

本日は曽我量深先生の「高上りする劣等感」との内容で輪読させて頂きました。

何かいいことがあると、偉そうになってしまったり、高上りしてしまうことってあるかと思います。私達も逆にそのような人を見て「何か違うな」と思ったことがあった。と思います。では何故そのような高上りしている人を見て「何か違うな」と思うのでしょうか。

それはその人も逆に「劣等感」があるからこそ、その反動で何かいいことがあったら高上りしているんだと思うからこそなのですね。

だから「優越感」と「劣等感」は同列的だということなのですね。

それは又自分自身の姿なんだと知らされるということなのかと思いました。私自身も自分で何かいいことあったら髙上がったりして、そして他人に不快な気持ちにさせたこともあったのかなとも問われて来ました。私自身そのようなことに気づいてなくとも、他の方からしたら私を見て良くわかるということもあるのです。

このような人間として生まれたならではの迷いの問題。このことを又皆様で聞法の下で人間として生まれた迷いの問題がそこにあったと共有せられていく。そこに又「優越感」と「劣等感」から打破せられ平等な立場に私達も帰らせて頂く。だからこのように皆様と共に「毎朝のお経と法話の会」を通して、聞法を通して平等な立場に帰らせて頂く。そして又今日の一日が始まる。これは本当に欠かせないことだなと改めて思いました。

いつも「優越感」と「劣等感」との同列的な感情にさいなまれている。これは世間体にて閉鎖されている心のありようです。しかし聞法の下で問題を共有し共に心開かれてくるということが仏法に触れるということでごさいます。

ここにお集まりの方々も今まで生きてきた境遇もそれぞれ違うし、それぞれ価値観も違いかと思います。しかし、そのような方々同士が何故かお寺でお勤めして聞法している。毎日そのような日々を過ごして一日を始めさせて頂いている。とても不思議なことですね。

これからも皆平等な立場に帰らせて頂く場として皆様で聞法の日々を過ごさせて頂きたく思いました。本日も有難うございました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

仏教人生大学
資料請求・お問い合わせ
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
Copyright © 仏教人生大学 All Rights Reserved.

ページトップへ