正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄講義(上)・本文
十方の仏たちが出る道が、「念仏は無碍の一道なり」という道なのです。十方の仏たちは、念仏によってさとりを得たのだということです。たくさんの仏たちがおられるけれども、みなその私たちが今、称えている念仏、同じ念仏によって、仏さまになったのだといわれます。そうすると、念仏する私たちにとって、諸仏たちは、私たちの先輩だということになります。
「十方無碍人、一道より生死を出でたまえり」とある道は、無碍道だということです。では「無碍」とは何かということです。『浄土論註』に、
「無碍」は、いわく、生死すなわちこれ涅槃なりと知るなり。
(「行巻」真宗聖典一九四頁)
とあります。これは『正信偈』の中に、
惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。
(「行巻」真宗聖典二〇六頁)
とあります。「惑染凡夫信心発」というのは、迷いに迷っている凡夫が信心を発せばということです。そして「証知生死即涅槃」というのは、生死即涅槃だということが明らかにされるのだということです。「生死即涅槃」が、「無碍」ということです。「生死」は迷いです。「涅槃」はさとりです。つまり、迷いがそのままさとりだということに気づくこと、それが「無碍」ということです。
(無碍の一道なり 176頁4行目~176頁13行目)