正信偈唱和
曽我先生実語抄拝読及び僧侶法話
曽我量深先生の言葉本文
南無阿弥陀佛ということは、いつも佛さまというけども、やはり自分でしょうね。他というても自分なんでしょう。他というても他の他というものはありません。やはり自己なんでしょう。つまり自己と対話するのが佛さまです。キリスト教の神さまとは違います。阿弥陀如来は因位の本願を起した、というのは、いつも私どもがねてもさめても対話できる方が阿弥陀如来さまでしょう。本願とは、そういう意味でありません。
(『真宗』昭和四三年 三月号)