正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄講義(上)・本文
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
最初に『歎異抄』という名について考えてみたいと思います。前序に、「先師の口伝の真信に異なることを歎き」とあります。「先師の口伝」とは、今は亡き師の口から直接に聞いた教えということです。その先師口伝のまことの信心に異なることを歎いて、この本書いたということです。そして、その思いがそのまま題名になっているわけです。
また、『歎異抄』の終わりにある「後序」には、次のようにあります。
一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。外見あるべからず。(真宗聖典六四一頁)
ここに「なづけて『歎異抄』というべし」と書かれています。つまり、書いた人自身が、「この本の名前は『歎異抄』といいます」といっているわけです。それは、「同じ教えに生きる念仏の人びとの中に、信心が異なることがないように、泣きながら書きました」ということです。これが『歎異抄』という書名の由来です。
(『歎異抄』の書名 3頁5行目~4頁3行目)