正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
次に『歎異抄』を書いたのは誰かということですが、親鸞聖人の弟子の川田の唯円です。関東は常陸の国、現在の茨城県水戸市の郊外の河和田に、唯円が創設したと伝えられる、報仏寺というお寺があります。
この唯円という人は、『歎異抄』の中に、二度名前が出てきます。第九条と第十三条に、唯円が親鸞聖人と対話したそのままが書かれています。直接に親鸞聖人と遇って話をした人でなければ書けない文章です。それで、『歎異抄』の作者は唯円であるといわれるようになったのです。
(『歎異抄』の作者唯円と親鸞聖人 4頁行目~8行目)