正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
親鸞聖人は、三十五歳で越後に流罪になってから五年間、流人の暮らしをされました。流罪が解けてからも、なお二、三年、越後におられて、そして四十二、三歳になって、関東に移動されました。そして、関東で約二十年間、本願念仏の教えを人びとに伝えられました。六十二、三歳まで教えを説かれて、そのあいだにできたお弟子の中で唯円は若手の弟子でした。唯円は、青年時代に親鸞聖人のお話を聞いたのでしょう。江戸時代の人の研究によって、五十歳も年齢が離れていたのではないかといわれています。親鸞聖人はそういうことは説いておられない、正しい信心に立ち返るようにという気持ちで、『歎異抄』を書いたということなのです。
遺弟の生き残りとして、忘れることのできない師の教えを記しますと、『歎異抄』が書かれたのです。
(『歎異抄』の作者唯円と親鸞聖人 4頁9行目~5頁1行目)