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2月17日(水)毎朝のお経と法話の会

歎異抄・前序

竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。

本日の歎異抄・前序 講義文

『歎異抄』全体の序は、作者唯円の文章です。最初に「竊かに愚案をめぐらして」とありますが、この「竊」という字は、米倉に鼠が入って、そっと米を盗むというのが、この字の成り立ちです。「これから泥棒するぞ」といって盗みに入るような鼠はいません。それは強盗です。強盗ではなく、そろそろっと穴から出て来て、サッと盗んで逃げる、それが「竊かに」ということです。また、静かにということにもなるでしょう。さらに、尊いものに向かって自分の気持ちを述べるときの謙遜な心というのが、この「竊かに」という言葉にこもっています。「愚案を回らして」という「愚」も、普通は謙譲語です。しかし、作者自身の気持ちからいえば、文字通り「愚」の意味もあるかもしれません。「案」は、考えるということです。「案」の字は、机を示す字ですけれども、この机に触って、よくよく確かめていくように考えることを「案」といいます。

(竊かに愚案をめぐらして 5頁2行目~9行目)

本日の歎異抄・前序 講義文を受けての本日の法話 銀田 琢也

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

「竊かに愚案をめぐらして」これは静かに自己を内観して真実の道理をおもってみればという唯円の言葉です。唯円の先師・親鸞聖人の内観は何から促されたのか。それは阿弥陀仏からの歎きです。阿弥陀仏から自己の苦悩の深さや心の闇を大切に見つめられていた。即ち阿弥陀仏から歎異せられていたことからの内観です。阿弥陀仏の歎異こそ、心の闇を包む智慧・光なのです。その自覚から謙譲な姿勢が耕され、この唯円の感情がこの「前序」にあらわされているのです。これは正しく唯円が「口伝の真信」を謙譲な姿勢で頂いたことならではの問題提起なのです。唯円はその親鸞聖人の頂き方に学び、自己を頂きなおしていかれたのです。それ以外の学びは正しく頂き方を観念化し「自見の覚悟」個人性へと閉じられていくのです。親鸞聖人亡き後、唯円はこの問題を、それこそ真実の歎きの対象とすべく問題として改めて頂きなおしていかれたのでしょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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