正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
「竊かに愚案をめぐらして」とは、これは大変丁寧な謙譲語です。何に対してへりくだっているのかというと、それは教法に対してです。真実の教法を尊ぶ気持ちが、この「竊かに愚案をめぐらして」という言葉に込められているわけです。
「竊かに」という言葉で始まる重要なお聖教があります。親鸞聖人が書かれた『教行信証』です。
竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり
(真宗聖典一四九頁)という言葉から『教行信証』は始まります。『教行信証』の「竊かに」を相承して、法を尊ぶ心から書かれているということなのです。
(竊かに愚案をめぐらして 5頁9行目~6頁2行目)