正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
そして、「後学相続の疑惑あることを思う」と、後に続いて学んでいく人々が、疑いとか惑いをもつであろうことを思うということです。親鸞聖人が亡くなったあと、真の信心に異なっているということが、ずいぶんある。そのために後の人がどれほど迷っていくだろうかということが大変に気にかかるといわれているのです。
だからこそ、「幸いに有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや」といわれるのです。まことの師匠によらなかったならば、どうして迷いから離れることができようかということです。「有縁」というと、普通には、縁があるということです。原因があれば結果がある。この原因から結果を成り立たせるのが縁です。条件とか、関係づけるものということです。たとえば、種から実がなる。これを原因から結果とすれば、種に日光や肥料、熱や水というものが関わって、それで種から芽が出て膨らんで花が咲き、受粉して果実がなるということになります。その種から実までを関係づけるものを縁といいます。だから、種だけあっても、縁がなければ、芽も出ないし、花が咲かないわけです。種に水や肥料が与えられないと、芽が出ません。大地がなければ伸びません。そのような諸条件を縁といいます。
(有縁の知識 6頁11行目~7頁6行目)