正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月25日金曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
次に「弥陀の誓願不思議に」というのは、弥陀の誓願の不可思議なはたらきを示します。「弥陀の誓願不思議」の「不思議」というのは、「ウーン不思議だなあ」と普段、私たちが考える不思議とは違うのです。考えても考えても考えても、考え尽くすことができないのが不思議というのは、普通の話です。しかし、本当は考えてもいないことのほうが、不思議ではありませんか。今日、皆さん朝起きてから、ご飯を何回噛みましたか。考えたことはありますか。歯の具合が悪くて、歯医者さんに行ったて抜いたときに、一噛み一噛みが痛くて、苦しくてというようなことがあるでしょうが、今朝、ご飯を何回噛んだかということは、数えた人がない。また、今日は呼吸を何回しましたかと聞かれても、答える人はいません。普段は、呼吸の回数など数えません。
(不思議 18頁4行目~18頁11行目)