正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月12日火曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
「摂取不捨」とは、摂め取っ捨てないということです。阿弥陀仏のお心が、私たち一人一人を摂め取って捨てないのです。私たちが、機嫌が良いとき、悪いとき。調子が良いとき、調子が悪いとき。健康なとき、病気のとき。そういう分け隔てなしに、常に心の中に摂め取って捨てないのが、「摂取不捨」ということです。気づこうが気づくまいが、摂め取って捨てないと、はたらいてくださる。これを「ああ、そうだったのか」と気づく、「はい」と返事をする。それが、この「摂取不捨の利益」を得るときである。
(ものの逃ぐるを追わい取る 24頁6行目~24頁11行目)