何も私が徳を持っているから信ぜられるのでない。何も徳などない。信ぜられるような徳など何一つ持っておらんのに、阿弥陀如来はちゃんと私を信じておられる、そこに私どもの信の根元というものがあるに違いない。それを「大信心は佛性なり」と仰せられたに違いないと、自分はそういうように領解している。
信は信じ得るの可能の力に依って初めて成立せしめられる。行によってはじめて信は可能である。行に於て初めて信ずるの自由がある、絶対自由の行に於てのみ信は正に成立する。
唯信ずる自由が本願の力である。
曽我先生実語抄(信の根元)69頁6行目~69頁13行目