正信偈唱和
歎異抄
歎異抄講義(上)・本文
「罪悪も業報を感ずることあたわず」と。これは、悪用される危険性もあるわけです。それでは、いくらでも悪いことをしてもいいのかと、悪く捉える人がいますが、そういう趣旨ではありません。わざと悪いことをしても、その報いはないからといっているのではないのです。罪悪を犯してしまったものの救いということを示しているのです。これからどんどん悪いことをしなさいと、悪事を勧めているわけではありません。
罪悪も業報を感ずることあたはず」とは、「ただ念仏してたすけられまいらすべし」というのであって、みな平等に救われるということです。男も女も金持ちも貧しい人も、いかなる職業の人も、いかなる職業の人も必ず救われる。それが阿弥陀仏の本願であり、その願いの証しが、この南無阿弥陀仏にある。男も女も金持ちも貧しい人も、いかなる職業の人も必ず仏にするという願いが南無阿弥陀仏なのだということを繰り返し繰り返し教えていただいていく道が、「無碍の一道」ということになのです。どんな行いも、必ず救われる。こういうことを思い切っていってくださったおかげで、私たちも、かろうじて救いの道、仏になる道をたどることができるのです。
(悪人を救うと誓われた本願 200頁6行目~200頁13行目)