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8月3日(木)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第九条

一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々

本日の歎異抄・第九条 講義文 啓蒙家の親鸞聖人と捉えれば、ご本人にはそういう問題は全然ない。すべてわかっている。お念仏すれば、いつでも喜べる。そういう喜びの中でお念仏している人ということになります。それがたまたま、できの悪い教え子がいたせいで、「先生も、じゃあ一緒になって考えよう」と答えられたということです。そう考えると、偉い、尊い、立派な親鸞聖人という理解になります。そういう意見を、今も主張されている人がおられます。そういう見方もあるというのを、一言ご紹介しておきますけれども、私としては、これは親鸞聖人が本音でいっておられるものと思います。
「親鸞もこの不審ありつるに」と、これは自分自身でも問題だということをが「この不審」という言葉で分かります。「唯円房おなじこころにてありけり」と、親鸞聖人もそのように喜べないことがあったのだと、正直に告白しておられるところだと、私は思うわけです。

(親鸞もこの不審ありつるに 238頁3行目~238頁11行目)

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