【本文】 『歎異抄』 -第七条-
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
具体的に、柔らかい心になるとどうなるかといいますと、一旦は怒ることがあっても、怒るということが長くは続かなくなるのです。「お前は駄目なやつだ」といわれても、「はい私は駄目な奴です」と返事をするならば、そこには喧嘩が起こりません。それを、「お前が悪い」といわれて、「私は悪くない」と我を張れば、そこには争いが生じるわけです。
このように「柔軟心」ということが、無分別、無執着、無差別、平等ということになるわけです。柔軟であればどこにも妨げられることがないということになるのです。それが「無碍」ということの内容になってくるわけです。何事にも妨げられない道ということは、何事にも柔軟ということだということです。これは大変難しいことです。
(金剛心と柔軟心 181頁4行目~181頁13行目)