【本文】 『歎異抄』 -第七条-
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
さらに、不運にして亡くなった人が神さまとして祀られるということがあります。たとえば、天満宮の天神さまとして親しまれている菅原道真などです。菅原道真は、なぜ神さまとして祀られてようになったのかといいますと、右大臣にまでなった菅原道真は、時の左大臣藤原時平という人の陰謀によって、九州の大宰府に左遷されます。京都を出発するときに、「東風吹かば、にほいをこせよ梅の花、主なしとして、春な忘れそ」という歌を詠んで、大宰府に赴き、その地で生涯を終えました。道真が亡くなった後、京都で清涼殿にも雷が落ち、さらには菅原道真を騙した藤原時平の一族に病気が流行り、死んでしまう人が多く出たそうです。人びとは菅原道真を騙した藤原時平の一族に病気が流行り、死んでしまう人が多く出たそうです。人びとは菅原道真が怨霊となって崇りをなしているに違いないと考えたわけです。雷が鳴ったときに呪文のように唱える「くわばら、くわばら」という言葉、菅原道真の領地が桑原という土地であり、その土地だけに雷が落ちなかったということに由来しているのです。ですから、怨霊となった菅原道真を神さまとしてお祀りして、災いが起きないようにしようとしたわけです。それが天満宮の天神さまの始まりだというわけです。怨霊に対して「あなたを神さまにしましたから、どうか祟りを起こさないでください」と、お願いしたわけです。怨霊を恐れ神として祀るということが、よくありました。
(金剛心と柔軟心 183頁15行目~184頁8行目)