曽我先生実語抄
【本文】
「至心信楽して」ということは、やはり佛様の方から私どもに至心信楽していなさる。阿弥陀如来様の方から私どもを信じて、そうして、我が本願を信じぜよ。自分が信じもしないで、我が本願を信ぜよ。自分が信じもしないで、わが本願を信ぜよ、と。これはもう、それこそ、どうでもこうでも信ぜずにおられぬわけです。それこそ、信ずることのできるわけだし、また信ぜずにおられぬ。そのことをはっきりするということが私は大切だと思います。それをはっきりしないで、ただ本願だの、本願の慈悲だの、ただお念佛は行だのというて、いくら並べてみてところが、末の話だ。その本の、大体は、如来様がわれを信じて下さる。われを知り、われを信じて下さる。御開山様からいうなら、阿弥陀如来が先ず親鸞を知り親鸞を信じて本願を起こして、そうして親鸞を換んでいて下さる、と。こういうのでありましょう。
(如来廻向の信心 72頁8行目~72頁16行目)