曽我量深先生の言葉
【本文】
如来が私どもを信ぜられるのは、無条件に信ぜられるのである。われわれに信ぜられるべき何かがあって信ぜられるのではない。一切如来の大悲の智慧をもって、私どもを信じられる。絶対的である。だから、私どもが如来を信ずることも絶対的である。それが如来の廻向である。
だから、如来を信ずるという中に、如来に信ぜられておるからということがある。如来を信じる信心の中に、如来に信じられておる。如来を信じたまう心がわれらにわいてきたのであるから、如来を信ずる信の中には、われらはおのずから自分を信ずるということがある。私どもが、単に自分を信ずる権利はどこにもない。けれども、われらが如来に信ぜられてあるから如来を信ずることができる。如来を信ずることが出来た時、われらは自分を信ずることができる。如来を信ずることが出来た時、われらは自分を信ずることができる。それを自信、機の深信という。
(真人一三四号・一一頁-一四頁)