曽我先生実語抄
【本文】
如来がわれらを信ずるのだ、如来に信じられておるのだということが私共に感応すれば、われら如来が信ずるということは、われらがわれら自身を信ずることであろう。如来を信ずるけれども、自身を信じない、ということではない。如来廻向の信心であるが故に、われらが如来を信ずるということは、単に如来を信ずるだけでなしに、われら自身を信ずることである。そのところをよく明らかにせねばならぬ。如来が私を信ずるのであろう。如来ましまさぬのならば、私どものようなものは、誰からも信ぜられない。親ありといえど、親に信ぜられない。自分の子供にも、兄弟にも、夫婦相互の間にも、相手を信じない。誰にも信ぜられない自分であるけれども、如来は南無阿弥陀仏によって私どもを信じて下さる。
(真の自信力 78頁5行目~78頁12行目)