曽我量深先生の言葉
深く信ずるとは、如来の廻向を信ずるのである。われらは佛を信ずるけれども、自分をしんずるわけがないということはない。われらが全身をあげて佛さまを信ずることができたときに、本当に自分を信ずることができる。それをば「満足大悲円融無碍の信心海」というわけである。
如来の円融無碍の信心海であるが故に、われらには信心が発起せしめられる。煩悩妄念は自信を妨げることができない。煩悩妄念のままで、私どもは自分を信ずることができる。だから、私どもは、自分が率直に自分自身の信ずるところを表明して行く。何ものにも恐れない。自分をいつわったり、人を警戒したり、人から誤解されるところを表明して行く。何ものも恐れない。自分をいつわったり、人を警戒したり。人から誤解されるであろうかと恐れる必要がない。人から誤解されることは絶対ないのである。自分が信寺内から、人から誤解されるのである。本当に自信をもっている人は、人から誤解されることは絶対にない。また、かりに誤解されてもおそるるに足らぬ。その誤解はやがて必ずとけるに違いないのである。
(『真人』一三四号・一一頁-一四頁)