正信偈唱和
歎異抄講義(上)拝読及び僧侶法話
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
縁起ということがあります。「結果だけが偶然に起きたものと見るわけにはいかない。しっかりと、その原因は何であるか、そして、それを成り立たせた縁は何なのかということを、よくよく考えなさい」と、そういうことを釈尊がおしえておられるのです。
しかし、そのことに止まらず、もう一つ大事な意味が「有縁」ということにあります。それは救いの縁という意味です。「出離生死の縁」が有るということです。
「知識」とは、先生とか友だちのことです。本当に私を救ってくださる、その救いの縁としての師こそ「有縁の知識」です。「有縁の知識に依ることがなかったならば、どうして易行の一門にいることができようか。いやできない」ということです。ですからこれは、ぜひとも「有縁の知識」に依らなければならないという、唯円の実感の言葉だと思います。
(有縁の知識 6頁10行目~6頁18行目)