正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義2月26日金曜日
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
たとえば、比叡山に千日回峰という荒行があります。本当に不眠不休で歩き続けるそうです。それからまた、常行三昧という修行があります。「南無阿弥陀仏」を称えながら、九十日間も不眠不休で阿弥陀仏像の周りを歩くという修行です。だいたい一日寝ないだけでも、フラフラになってしまうのが私たちです。それを懸念に維持してやっていくためには、強い精神力と、それから恵まれた体力がなければできません。
それに対して、易行というのは、これは呼吸をするようにお念仏もうす。声に出せない人は、心に「南無阿弥陀仏」と思う、そういうお念仏です。これは、いつでも、どこでも、誰にでもできる。
(易行の一門 8頁5行目~8頁11行目)