正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月30日水曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
現在ただ今、この身をいただいていること自体の不思議ということに目を開かないで、それ以外に何が不思議でしょう。作られた不思議に騙されて、自分を失っていくうことになりしませんか。「仏法に不思議なし」、人間が作って考えた不思議を、仏教ではいいません。真の仏法には不思議なし。つまり、煙は上に昇る、水は高いところから下に流れる、そういうことを説くのが仏教だというのです。つまり、道理を説くのが仏教です。「弥陀の誓願不思議」とは、人間のはからいに先立った大きなはたらきです。この『歎異抄』の第一条が「弥陀の誓願不思議」という言葉から始まるのは、誓願の解釈に先立って、感動があるのではないでしょうか。
(不思議 20頁3行目~20頁8行目)