正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月31日木曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
「誓願不思議」というときには、不思議というべき事実に、まさに出遇っているそのことこそが、「誓願不思議」ですから、感動があるといったわけです。「弥陀の誓願不思議」というところに感動がある。つまり不思議というのは、ただわからないというのではなくて、不思議というべき事実に出遇っているということなのです。
たとえば、「有難うございます」という言葉があります。有ること難し、有るということは、極めて困難であったという事実が目の前にあるからこそ、「有難うございます」といったのでしょう。ただ言葉の上だけで、「有難う、有難う」ということではないかと思います。
(感動すべき事実 20頁9行目~20頁16行目)