正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義4月1日金曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
「ここまでしてくださることは、大変にご苦労をおかけしまして、困難な思いをおかけしたことでしょう。私には、こういう具合にしていただけるようなものは何ひとつないのです。それなのに、この私にこのようなことまでしてくださったということ、大変に有ること難いのでございます」という実感が、「有難うございます」ということになるのではないでしょうか。つまり、有ること難しということが、いま目の前にありますという感動が、ということを、私はうかがいたいのです。
思いもかけなかったけれども、大きなはたらきの中で日暮らしをさせていただいている。その実感が、「弥陀の誓願不思議」という言葉に込められているのではないかと思うのです。そうすると、日常生活のただ中の、一つひとつの出来事は、全部「弥陀の誓願不思議」を私に気づかせるためには足りているのだということになると思います。
(感動すべき事実 20頁9行目~20頁16行目)