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Home トップページ  >  今日の法話  >  6月22日(水) 毎朝のお経と法話の会 (正信偈) 中島航先生ご法話

6月22日(水) 毎朝のお経と法話の会 (正信偈) 中島航先生ご法話

正信偈唱和


歎異抄


歎異抄・第二条

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々

本日の歎異抄・第二条 講義文

宗教は、一生を尽くしても後悔のない言葉との出遇いです。一生うを尽くしても後悔のない自分自身です。そういう言葉との出遇う、その言葉は師匠の仰せでしょう。一生を尽くして後悔のない唯一言と出遇う、それが宗教であるということがわかるのが、「おおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」です。だから、理屈で極楽行きだとか地獄行きだとか、そういう話をしているのではありません。もしも地獄行きだというのなら、地獄に堕ちても私は後悔しません。師匠の仰せに従って後悔しません。後悔しないという自分自身がしっかりしているのです。

ただのファンになって、熱狂的に惚れ込んで場合にも、似た言葉が出てくると思います。「あなたとならばどこまでも、たとえ火の中、水の中」というけれども、いろいろ辛い出来事が起こってくると、「こんなはずではなかった。私は馬鹿だった」となってしまいます。ファンになってしまって、「仰せなら何でもします」というのは極めて似ていますが、こちらは自分自身がしっかりしているのです。

(念仏して地獄におちたりとも 52頁8行目~52頁17行目)

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