正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
九
本日の歎異抄・第八条 講義文
除災招福の考え方だと、死ぬということさえも、あまり見つめさせないようになるのです。死ぬかもしれない、いやそれでも長生きの道があるというように考えて、それで必死にお賽銭をあげて祈りなさいというわけです。それでは、死ぬということと正面から向き合わない。問題を先送りしていくだけということになるわけです。辛いことは考えないで、明るく明るくといいますが、その明るさは、実はごまかしの明るさです。
そういう除災招福のために念仏を使うのは大間違いです。よくても悪くても念仏もうすという道が、親鸞聖人がいわれたお念仏の道です。『歎異抄』第五条に親孝行の問題がありました。
(念仏は鏡である 214頁6行目~214頁11行目)