正信偈唱和
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歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
九
本日の歎異抄・第八条 講義文
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。
親孝行のために念仏するということはしませんということです。念仏の力で、死んだ親が浮かばれるようにと思って念仏するということはしませんということはしません。それはどうしてかというと、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」といわれます。一切の有情、命あるものすべては、みんな生まれ変わりに死に変わりしているあいだの兄弟なのだからといわれています。だから「私の親だけよいように」とうために、念仏を使うものではないのだといわれるのです。
(念仏は鏡である 214頁12行目~215頁1行目)