正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第八条
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々
本日の歎異抄・第八条 講義文
そのように、自我の思いというのがどれほど事実から外れているか、他力とまったく反対になっているのです。よいことがあると可愛い、悪いことがあると嫌いだとなる。ちょっと悪いことがあると、「こんな世の中なら、いなければよかった」となり、よいことがあると、「こんなよいことなら、もうちょっと」と思ったりするのです。コロコロと変わる。そういうのが自我の思いです。同じ事柄でも自分のエゴによって変わってくるのです。人がクスッと笑ったときに、自分のことを馬鹿だと思っているのだと、腹を立てる人もいれば、私に好意をもっているのだろうと思う人もいるのです。
自我の思いの他のはたらきというのは、まさしく何を示すかというと、如来誓願の薬のことを示すのです。善き人にも悪しき人にも、同じようにはたらいてくださっている。そういうのが他力、如来誓願なのだということです。
(ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに 223頁10行目~223頁18行目)