正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第四条
一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々
本日の歎異抄・第四条 講義文
インドの原語では、慈悲の慈はマイトリーです。そして悲のほうは、カルナーです。マイトリーというのは、友情という意味の言葉です。これは平等ということです。友だちというのは、「きみ、ぼく」というように、お互いに呼び合える関係です。あるいは、名前を呼び捨てで呼び合える、そういうのが友だちです。小学校からのことを思い返せば、友だちというのは、上から下とか、下から上とかという関係ではなく、対等の関係、平等の関係です。その平等の関係で、お互いを大切に思う、そういうことで友愛が慈ということなのです。
それからカルナーは、ともに呻き声を上げるという意味です。ともに呻き声あげるというのは、苦しみを共にするということです。独りだけで苦しい思いをさせるのではない。自分もいっしょになって苦しみを共にして、そして同じ心になる。そういうのがカルナーです。
(慈悲とはまことの愛 95頁14行目~96頁7行目)