正信偈唱和
歎異抄
歎異抄・第四条
一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々
本日の歎異抄・第四条 講義文
ともかく、それで慈悲というのは、思い切っていいますと、これは「まことの愛」ということができると思います。どうして思い切っていうかというと、愛という言葉は、仏教用語の常識としては、悪い心だといわれているからです。愛というのは、渇愛だといわれてます。喉が渇いているときに。水を求めて、水のためなら何でもするというような恐ろしい心を渇愛というのです。渇き求め、そして執着する。それが渇愛です。ですから、愛というと、仏教では悪い心、強い煩悩といわれるのです。
しかし、もう一つ愛というのに、法愛という言葉もあります。法愛というのは、仏法の愛です。やはり、愛というのは、ただ悪いものではない。大事にする。いとおしむ、そういう気持ちが全部駄目だというわけではないでしょう。
(慈悲とはまことの愛 96頁13行目~97頁2行目)