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8月23日(水)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第六条

一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の 候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず 候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はば こそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し 候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つ くべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのある をも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざる ものなりなんどといふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信 心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすも あるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩を もしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。

本日の歎異抄・第六条 講義文 弥陀の御もよおしにあずかって
お念仏がわかりにくいのならば、呼吸ということで考えたらどうでしょう。「吐いてみろ、吸ってみろ、おおよくできたな」などということはないですね。オギャーと生まれたときに呼吸をしているのです。これは自然のはたらきによって呼吸をしているのです。このいのちは誰が与えてくれたのか、母です、父ですといっても、息をすること自体は、両親が教えたわけではありません。息をするようになって生まれてきたのです。

(弥陀の御もよおしにあずかって 156頁1行目~156頁5行目)

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