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9月7日(木)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第六条

一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの

弟子といふ相論の 候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人も

もたず 候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はば こそ

、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し 候ふひとを、わ

が弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つ くべき縁あればともなひ、

はなるべき縁あればはなるることのある をも、師をそむきて、ひとにつれて念

仏すれば、往生すべからざる ものなりなんどといふこと、不可説なり。如来よ

りたまはりたる信 心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすが

へすも あるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩を もし

り、また師の恩をもしるべきなりと云々。

本日の歎異抄・第六条 講義文
「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるることのある」と
いうことは、親鸞聖人の人間関係は、楽な関係だったのだろうなと思います。つ
まり、自由な関係だったのだろうと想像されます。縁ということに思いを致して
、人間の関係を結んでいきましょうということが親鸞聖人のお考えでしょう。で
すから、縁によって別れるということになれば、それも結構である。師に背いて
他の人について念仏すれば往生できないとか、そのようなことをいうのはまった
くの間違いです。なにしろ、お念仏は阿弥陀仏の御もよおしによってお念仏させ
ていただくのですから、あの人のお念仏、この人のお念仏なんて、ちがいがある
わけがない。お念仏は、誰が称えても真実のお念仏なのです。

(ひとにつれて念仏すれば 160頁9行目~160頁後4行目)

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