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9月11日(月)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第六条

一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの

弟子といふ相論の 候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人も

もたず 候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はば こそ

、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し 候ふひとを、わ

が弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つ くべき縁あればともなひ、

はなるべき縁あればはなるることのある をも、師をそむきて、ひとにつれて念

仏すれば、往生すべからざる ものなりなんどといふこと、不可説なり。如来よ

りたまはりたる信 心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすが

へすも あるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩を もし

り、また師の恩をもしるべきなりと云々。

本日の歎異抄・第六条 講義文
お念仏は、声に出して南無阿弥陀仏と称えるということが基本ですけれども、喉
が悪いとか声が出ないという場合にでも、お念仏はできるわけです。それは、お
念仏とは、心に阿弥陀仏のことを思うということと言葉のはたらきとが一つだか
ら声に出しましょうと勧めるのであって、声が出ないときには心におもうことで
十分結構なのです。なにしろ言葉と思いは一致しているということです。たとえ
ば、梅干というと、梅干の形が頭に浮かんで唾が出てきます。これは言葉と思い
が一致しているからです。思い内にあれば色外に現るといわれます。そのような
お念仏ですので、実は誰が称えてもお念仏に違いはありませんし、称えられなく
ても心に思うことでお念仏になるのです。おまけに、私たちが、事故や病気で意
識不明になったとしても、呼吸をしているということ自体が、やはりお念仏の意
味があるのだということだと思います。

(ひとにつれて念仏すれば 161頁4行目~161頁後8行目)

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