歎異抄
歎異抄・第七条
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
本日の歎異抄・第七条 講義文
この第七条は、念仏がどのような生き方を実現するのかということが明示されています。
『真宗聖典』の最後のほうに、「念仏者」の「者」という字について、
「念仏者は」の「は」はその上の「者」を「は」とよむということを示すための捨て仮名が本文中にまぎれこんだものか(真宗聖典一〇九五頁)
という註があります。これはどういうことかといいますと、この「者」という字を「は」と読むその仮名が、下に移ってしまって、本文中に紛れ込んできたのではないかということです。「念仏者は」とありますが、「念仏は」という意味であるというのが、この『真宗聖典』の解説です。「者」という字は、何々なるものはというように、定義を示すときの漢文の文体なのです。たとえば、『御文』(四帖目第八通)に善導大師の『観経疏』の六字釈を引いて、
すでに善導釈していわく、「言南無者 即是帰命」(真宗聖典八二六頁)
とあります。「言南無者」の「者」は、「は」というのです。これは語を強調し、定義づけるということで、南無とはというようになります。
(念仏者はの二つの解釈 173頁後9行目~174頁3行目)