【本文】『歎異抄』 -第七条-
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
親鸞聖人が著された『教行信証』の「化身土巻」には、「魔」とか「鬼」についての解説が引用されています。
いま「魔」というのを見ていると、
魔はすなわち悪道の所収なり。 (真宗聖典三九七頁)
とあり、「悪道」というのは苦しみの世界、悪い世界に収められるものが魔であるといわれているのです。
それから、『魔訶止観』という天台宗の根本のお聖教ですが、『魔訶止観』に魔事鏡ということが書いてある。
魔の発相を明かすには、管属に通じてみな称して魔とす。細しく枝異を尋ぬれば三種を出でず。一つには慢悵鬼、二つには時媚鬼、三つには魔羅鬼なり。三種の発想、おのおの不同なり、と。(真宗聖典三九七~三九八頁)
これはどういうことをいっているのかというと、悪魔がはたらきをなすには、悪魔の親分
も悪魔の親分も悪魔の家来たちも、みんな同じく魔だということ、それを詳しく尋ねると、
三種の鬼がいるというのです。
「一つには慢悵鬼」、慢悵鬼というのは、威張るということです。威張る根性です。それを、悪魔の姿、鬼の姿で表わせているわけです。
それから時媚鬼というのがあります。人を惑わす鬼です。天台宗の修行の中で、悪魔の出て来る時間、その時間に出てくる悪魔を、時媚鬼といったわけです。悪魔が出てくる時間というのは、だいたいどんな時間というと、昼間はあまり出てきません。草木も眠る丑三つ時、つまり夜中の午前二時から三時です。そのころ現れて、それでお日さまが昇るころには帰っていくというのです。それで、お日さまが昇る直前にぶらぶら歩くと悪魔に出会うというような言い伝えができたのです。
(魔界・外道も障碍することなし 186頁8行目~187頁6行目)