曽我先生実語抄
【本文】
佛の前にひれふすことができるならば、われわれは誰の前にでもひれふすことができる。佛の前でひれふすことができるけれども、人間の前にひれふすことができぬということを考えるならば、大きな矛盾に陥るに違いない。眼に見えない佛の前にひれふすことができるからには、ましてや眼に見える人の前で頭を下げられぬということはない。眼に見えぬ佛には頭は下げぬが、眼に見える人間には頭を下げるという理屈もあろう。このような理屈は出てこない。だから威張らなければならぬような自信力、虚勢を張ったり、痩せ我慢をしたり、むやみに頑張るのは本当の自信力ではない。
本当の自信力は誰にもさからわない、誰に対しても自己弁護をしない。こういうことのできる人が真実の自信力を成就しているといえる。このことがわが御開山聖人の「親鸞一人がためなりけり」と仰せられる言葉の意味であると、『歎異抄』の著書が身をもっていっている。「われらが身の罪悪の深きほどをも知らず」のわれらとは、『歎異抄』を書いた人自身でしょう。
(自信力 76頁3行目~76頁13行目)