【本文】『歎異抄』 -第七条-
一 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々
【解説】 法蔵館『歎異抄講義』上巻・三明智彰著
そして、その悪魔の後の夜明けに、明けの明星を見たとき、十二月八日に釈尊は正覚を得られたのです。それで、退治された悪魔は、釈尊が生きておられるあいだはおとなしくしていないといけなくなったのです。
釈尊が亡くなるときになって、「そろそろ釈尊が死ぬ、しめたもんだ」といって、悪魔が鎧をほどき始めるというようなことがまたあるのです。釈尊のお弟子のアーナンダが「釈尊、そんなに早くお亡くなりにならないで、まだ命を延ばして、私たちに教えを説き導いてください。悪魔が鎧を解きました。にやにや笑っている顔が見えます。釈尊、なんとか長生きしてください」と求められたということも、釈尊の伝の中で記されています。とにかく、佛さまと悪魔というのは、敵対者です。
(降魔 188頁8行目~188頁14行目)