正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義2月29日月曜日
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
いつでも、どこでも、誰にでもできるというものがくだらないものかというとそうではありません。普通には、いつでもではなく、誰でもなく、どこでもでないものが尊いものだと、私たちは思うのです。しかし、本当に尊いものというのは、いつでもどこでも誰にでもできるもののほうが、本当は尊いのです。つまり今、この場所に座って呼吸をしているということ自体が、大変に尊いことなのです。そういうことに気がつくようにと教えてくださるのが、真実の仏教です。
人身受け難し、いますでに受く。
という言葉があります。まことに、人として生まれるということは、当たり前のことではないのです。希望の機会をいただいて、人として生まれたのです。この人の身を受けて生まれたということ自体の尊さを忘れて、空しく過ぎていませんかと問いかけてくださるのが、仏の教えなのです。
(易行の一門 8頁12行目~13頁4行目)