正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月1日火曜日
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
易行というと、「なんだ、そんなことか」というけれど、誰でもいつでもどこでもできるというところにこそ、尊さ、ありがたさというのがある。今ここにいるのが何でもないことのように思っているけれども、実はそれが尊いことなのです。「ただ念仏」の教えは、時、所、人を問わない、易行ということが特徴です。つまりは、例外なしに、すべての人間が救われていく教えというのが、この「易行の一門」です。真にその道理を教えてくださるような師匠が有縁の知識である。その人に遇うことがなかったら、真の教えに入ることができない。そういうことを自分の実感をとおして唯円が書いているのです。
(易行の一門 9頁5行目~9頁10行目)