正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月3日木曜日
歎異抄・前序
竊かに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入る
ことを得んや。まつたく自見の覚悟をもって他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。
本日の歎異抄・前序 講義文
芸能でもスポーツでも、よき指導者がなければなりません。たとえば、生まれながらにして野球が大変に上手な人は稀です。トンネルしたり、ボールをなかなか打てない、そういうときに、「もう少し腰を下げれば捕れるんだ」とか、「ボールから目を離さないで、もう少し腰を入れて打ちなさい」というように教えてくれる人がいて、やっとできるようになる。このように、普段の習いごと、稽古事でも、先生が必要です。ましてや、自分が救われるという、人生全体が救われていくという道について、正しい師匠が不必要なわけがありません。どうしても正しい先生に依らなければなりません。それがなければ、ただいたずらに迷うばかりです。
(有縁の知識 9頁17行目~10頁3行目)