正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月22日火曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
たとえば、親孝行を条件にして救おうとしたならば、親孝行なものは救われるが、現実には親孝行なものは少ない。親孝行でない人は救われないことになってしまってしまいます。
では、戒律を守るというのは、どうでしょう。嘘をつくな、というのから始まって、戒律を守る人は少ない。嘘をつかない人の方が少なくて、嘘をついてしまう人のほうが多い。だから、嘘をつかないものを救うというだけでは、一切の人を救うことはできない。
このように、布施・持戒・忍辱・精進・禅定という修行は、大変に尊いことなのだけれども、誰もができるかというと、できない人がいる。そういう中から、「ただ念仏もうすものを必ず救おう」という誓願を起されたのが、念仏往生の本願の起こりです。
(念仏往生の誓願 17頁15行目~17頁6行目)