正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月23日水曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
念仏とは、どういうことかというと、基本は心に憶うことです。しかしこれは、心が散り動いていたら、なかなかできません。ですから、心に憶うことができない人は、仏の名前を称えましょう、南無阿弥陀仏と称えましょう、南無阿弥陀仏と称えましょうという。それが称名念仏です。言葉には、はたらきがあります。「梅干し」と聞いた途端に、梅干しの形が浮かぶ、色が浮かぶ、唾が出る。そのように、言葉にははたらきがあるのです。南無阿弥陀仏と、言葉にしましょう。その言葉によって、仏を思うことができる。それでは、言葉が出せない人は、どうなるのでしょう。それは、心の中で南無阿弥陀仏と思えばよいのです。そのように、ただ念仏もうすものを必ず救おうという誓いが、この「弥陀の誓願」なのです。
(念仏往生の誓願 18頁7行目~18頁13行目)