仏教人生大学
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
銀座キャンパス
資料請求・お問い合わせ
基本講座
仏教入門講座
聖典講座
教養講座
出張講座
外に出て学ぼう

Home トップページ  >  今日の法話  >  11月30日(水)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)※本日、本堂葬儀のため録画は出来ませんでした。文書の更新とさせて頂きます。

11月30日(水)毎朝のお経と法話の会 (正信偈)※本日、本堂葬儀のため録画は出来ませんでした。文書の更新とさせて頂きます。

歎異抄・第三条

一 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

本日の歎異抄・第三条 講義文

『正信偈』の中に「証知生死即涅槃」とありますが、「生死」というのは迷いということです。つまり、生きる死ぬということの中に何があるのか、迷いがあるのだということでしょう。

(生死をはなるることあるべからざる 86頁10行目~86頁11行目)
本日の歎異抄・第三条 講義文を受けての法話・銀田琢也(江戸川本坊・僧侶)

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

「救い」といえばこの世での迷いがなくなり、違うものになり変わっていくこと。と思いがちですが、いずれの行にても迷いを離れられない問題を親鸞聖人は歎いていかれたのです。

どんないかなる善行も、自分本意絡みの感情がついてまわり私たちは苦しみます。些細な他人への気配りや思いやり等からしても、自分がやっているという執着がついてまわり、その自分本意絡みな感情から解放されず苦しみます。

そして「自分はやってあげている」と相手を一つ下に見てしまうようになってしまい、他の人はおろか自分ということをも自らの善行では救えない。だから迷いが深い問題を私たちは日ごろの対人関係でも抱えているのです。だからどんないかなる善行も自分を高まるものになっていかず、そこに人間として生まれたならではの悲しみの深さを仏は哀れみながら見つめて歎いていたのです。自らの救われようのない悲しみを抱える姿は、仏の悲しみの眼差しに包まれる。自ら迷いの深さの中にあって、仏の深い歎きが聞こえていかれたのです。そのような親鸞聖人の感情がうかがえます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

仏教人生大学
資料請求・お問い合わせ
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
Copyright © 仏教人生大学 All Rights Reserved.

ページトップへ