曽我先生実語抄
【本文】
今日、聖人滅後のわれらが何時までも機の善悪にひっかかっている。何時でもわれわれは罪悪信ずる信心、すなわち自力疑心のところにいる。そういうものにおさえつけられている。だから自分の善根をたのみにする。つまり自分の善根をたのんでそれによって自信力をつくる。いわゆる自分によい心がおこったとか、よい仕事をしたとか、そういうことを条件にして自分の善根功徳をたのんで自信力をつくるのである。これが普通人間の自信力というものでしょう。そういう自信力は真実の自信力ではない。
そういう自信力は常に裏切りがある。その裏切りがすぐに出て罪となる。悪い心が起こってくると、さてはと思う。さてはと思うと自信力を失う。自信力を失うと何くそと思う。そこで何くその自信力をもつ。これが絶望の勇気である。これも自信力なのかも知れない。自信力には色々あって正しい自信力、邪定聚の自信力というものである。願わくば正定聚の自信力に眼を開くようにしていきたいということが、『歎異抄』の著書の願いである。このようになっているように思う。
(自信力 76頁14行目~77頁9行目)